スタッフ紹介

人を喜ばせるのが大好き。そしてチームで喜びを分かちあうのがHARADAです。

入社はどのような経緯だったのでしょうか?
故郷は防府市富海です。小さいころからいつも海で遊んで腕白に育ちました。大学卒業後は大手自動車メーカーのディーラーで営業を4年間していました。営業職が大好きで常にトップセールスの成績でしたが「次に何を目標にしよう?」と模索しはじめたところ、HARADAの会長がお客様でしたので声を掛けていただき、新しい世界でチャレンジすることを決意しました。
HARADAの何に魅力や可能性を感じたのでしょう?
車の営業は対個人であり、営業マンは個人プレーヤーでいわば全員がライバル。企業が顧客となるHARADAの仕事は別の広がりがあり、仕事もチームで力を合わせることが多いことが魅力でした。
入社が28歳ですね。最初のお仕事はなんでしたか?
それがですね(笑)防府の製造工場の責任者が急遽退職されることになり、ピンチヒッターで私が工場の製造現場に入ることになったのです。営業畑でスーツ姿が普通だった毎日から、出社も作業服でいきなり製造現場。自分もですが親がびっくりしていましたね(笑)。しかし、この時の現場体験は後の仕事に本当に役に立ちました。会社のルーツを知る、製造現場の苦労や人の思いを知る…この実感が大きな自信と誇りに繋がっています。
その後営業現場に戻られてから、印象に残ったお仕事は?
ある程度規模の大きな企業は決裁権のある本社は東京 大阪 福岡などの大都市圏にある場合が多く、山口の営業所ではなかなか商談が進まないことも多いのです。そこで当時は九州や関西にかけて、決裁権のある本社担当者へ直談判の飛び込み営業に行きました。本社が北九州にある大手給食サービス会社へ伺ったときのことです。なんとユニフォームについてご検討段階であり他社との比較検討案を欲しかったというグッドタイミングで、ヒアリングの上HARADAの企画案をご提案し、それが採用になりました。営業マン10人年商2億の頃、6000万円の商談という大型受注は大変嬉しかったですね。
「先方の会社に1000人いても、行って会うのはひとり。究極は人と人との話し合い」なのです。怖がることはなにもないと思います。そして、フットワーク良く積極的に会いに行く。これがチャンスに出逢うポイントだと思います。
長年営業第一線を走ってきた中嶋さんからみたHARADAはどのような会社ですか?
いまや50人超える所帯になった弊社ですが、今でも昔からのアットホームな社風は変わりません。社長は社員全員の誕生日にバースデープレゼントを贈ります。チームとして協力し、納品や仕分けなどが大変なら職種や仕事を越えて手伝って助け合う。「苦しみや悩みはみんなで分け合えば50分の1になり、喜びは50倍になる」そんな会社です。私はその中で営業として走ってきました。これからも、営業マンの姿や考え方を後輩に「背中で教える」ような存在でいたい。背中で教えるために…これからも先頭を走っていく「生涯営業マン」としてがんばるつもりです!
