HARADA'S STAFF

スタッフ紹介

久保 緑

共感と信頼を胸に駆け回る 100%男前な営業ウーマン

下関営業課 課長代理 久保 緑

新入社員の時に印象に残っている出来事はありましたか?

新人営業職としてスタートしたのですが、2年目に周南店のショップに配属になりました。営業が花形、と思い込んでいたところでしたので、この転属には後ろ向きでした(笑)店長の安永さんにはしごかれ、苦手だったミシン掛けは吐きそうなほど練習しました(笑)辛かった時、その頃先輩だった山本さんが「必要とされているところで3年がんばってみよう。実力がつけば会社は認めてくれる。そうすればやりたいこともできるようになる。僕も力をつけるから共にがんばろう」といってくださった。その言葉が心にしみました。

久保 緑

辛いとき共に励まし合う仲間がいるのは素晴らしいことですね

それからは「30分でもお客さまの印象に残る仕事をしよう」と意識したり、店舗チームとしてひとつの店舗を作りあげていく事に心がけたり、仕事への取り組みが変わりました。その実績が実を結んで3年目で副店長となり4年目で店長になりました。

実績が積み上がってきたのですね。責任あるポジションでは何か変わりましたか?

それまでは安永店長をしっかりサポートすることが役割でしたが、自分が店長になると「私流の店長って何だ?」と考えるようになりました。そこで気付いたのは安永流の「自ら姿を見せる」スタイルを踏襲しようということと、それに加えて「次の世代を育てる」ことでした。

具体的にはどのように人材を育てられたのでしょうか?

店長2年目になって、ショップスタッフひとりひとりとの面談を導入しました。じっくりと話を聞き回数を重ねていくと、だんだん「共感」が生まれて心が繋がっていく…そして「信頼関係」ができる、これが手にとるように感じられました。この気づきは、私がスタッフから教えてもらった、人間として成長できた部分だと思います。それから、下関店の立ち上げにも店長として準備から入りました。現社長が初めて立ち上げる店舗でしたので、思い入れやアイディアが多く、私たちも全力投球で1ヶ月半前から具体的準備に入ったんです。普通は3週間前ぐらいですから、異例のスタートアップ。朝から夜遅くまでがんばりました。現店長の竹中さんや当時の立ち上げスタッフには、本当にみんな汗まみれでよくついてきてくれたなと感謝しています。

まさに率先垂範ですね。営業に復帰されたのは、長年の夢が叶った…?

28歳のときに社長に「営業復帰してみるか」と辞令を受けまして…その時はもうショップの面白さも大切さも身体に染みこんでいましたので「ええ?今?」という感じで(笑)でも昔から「次の場面にはまず飛び込む」タイプですから。昔よりも知識やマナーなどがある分、大人の営業ができるようになったとは思います。でも、ショップは「チームプレイ」ですが営業はどちらかといえば「個人プレイ」ですし、プレッシャーもあってまさに「初心に返った」感じです。

10年を超えて、余裕はできましたか?

とんでもない!ここへ来ても営業スタッフが退社して顧客を一気に引き受けることになったり…毎回大変な事が起こるんです。その度に「うわー!どうしようー!」と自信なくしてぺしゃんこになるのですが、私は本当に人に恵まれていて必ず支えてくれる仲間がいるんです。個人プレイといいましたが、仕事は決してひとりではできないといつも感謝しています。26歳の時、父が亡くなりました。一人っ子で葬儀一切を執り行わねばならず、仕事も休ませていただいて、お客さまや会社のみんなにご迷惑をおかけして申し訳なさでいっぱいでした。葬儀の日、驚いたことに全社員の方が来てくださいました。その上全お取引メーカーから弔電の山が…後から知ったのですが中嶋専務が「久保が心身共に辛い思いをしている。励ましてやってほしい」とお願いして廻ってくださったのです。HARADAで仕事をする仲間は、共に生きる仲間。これからも私は恩返しをしていきたいと思っています。

久保 緑