HARADA'S STAFF

スタッフ紹介

福永 祐二

生きる場所から「ぶれない」ワークライフバランスのリードオフマン。

周南営業課 営業 福永 祐二

福永さんの名刺にはあるメッセージが書かれています。

『少し耳の聞こえが悪くご迷惑をおかけすることもありますが仕事の期待にはしっかりとお応えします!』

私は1985年、大阪の南部・住吉区長居で生まれ育ちました。4歳のころ、耳に水が溜まりその手術後がよくなくて、聴力が弱くなりました。親はすぐに、ろうあ教室を申し込み、午前中普通の保育園、午後からその教室で聞こえとコミュニケーションの訓練をしました。 そのように早い対応や専門サポートの方々の適切であたたかな教育のおかげで、小学校からは普通のクラスに上がりました。 大阪の住吉という人情味あふれた地域、という環境もあったように思います。友だちや近所の人にもささえられました。近所も学校もみんな家族同然で、自然に、聞こえやすく話してくれました。それにただでさえみんな声が大きいので、不自由を全然感じないです(笑) 先天性ではないですから言葉は完全に話せますので、特に酷く辛い思いをするということもなく元気な小学校時代をすごしました。

HARADAとの出会いはどのようなものでしたか?

経理の勉強をしていましたのでその分野を希望でしたが、それよりも「上関に近い」「新幹線の駅に近い」事が大きな条件でした。祖父母の家へ週末に帰れる、大阪の母に何かあってもすぐ新幹線に乗れる環境がベストでした。そういう意味でHARADAの周南はベストポイントでした。 2007年の5月面接が始まって、6月に社長面接を受けました。社長面接では他社とは違う「熱」を強く感じ「何かすごいな!」と引き込まれました。ある県内他社では「君は遊びに来たのか」といわれるほど、このような働き方や考え方に理解をもらえませんでしたが、HARADAは自分の想いを汲んでもらえたように思います。「仕事は甘いものではないよ」とは釘を刺されましたが(笑)

福永 祐二

経理志望でしたが営業配属になられました。嬉しかったこと苦労したことは?

嬉しかったのは、営業として新規のお客さまを獲得できた時ですね。夏に熱中症対策グッズを企画提案して、喜ばれたことも嬉しかった。 本当は、新規獲得の飛び込み営業は、最初は車からでられないほど怖かったです。何を話したらいいか全くわからない。これが仕事なんだ、と実感しました。 そこで毎日、日報に行動を細かく打ち込んで専務や課長に相談をすることを続けました。そうですね、3か月くらいたって、落ち着いて全体が見えるようになり、受け答えもできるようになりました。

お話しをうかがっていると、とても営業が苦手だったようには見えません!

本当はプレゼンも得意な方ではなかったのです。でも、上司先輩の細やかな指導と、あとはお客さまの言葉があったからこそです。 「笑顔がイイね。担当が福永さんでよかった」「その笑顔で買っちゃうよ」といわれることもあって、喜ばれることが何よりも次の力になりました。

福永さんが営業で一番大切にしていることはなんでしょうか?

「ていねいにやる」ということです。アポイントでのご挨拶、見積もり、ご提案、資料送付…ひとつひとつ要所要所で、そのつど心をこめること。例えば荷物を送った後に必ず電話で確認を入れます。確認のひと手間は、仕事を確実にしますし、先方の信頼感の根拠になります。 あと、お礼の手紙ですが、字は下手ですが手書きで気持ちを添えるようにしています。最初は気後れしていたのですが、その気持ちを乗り越えて手で書いた文字には、書いた人の気持ちが伝わる力か宿っていると思います。 今のお客さまが別のお客さまを紹介してくださるのは、このような自分の姿勢を理解してくださったのだと感じ、本当にありがたいと思います。

福永 祐二